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北方領土問題対策協会(内閣府の外郭団体)主催の北方領土交流訪問事業(県民会議主体の船)に8月19日から25日の日程で参加した。
この事業は平成4年から毎年実施されており「日本人と北方四島在住ロシア人との交流を通じてお互いの立場の理解を図り真の友好親善のために必要な北方領土問題の解決の重要性を北方四島在住ロシア人に理解させるとともに、ロシア人に対する日本人の理解、また日本及び日本人に対する北方四島在住ロシア人の理解の共有を通じて北方領土問題の解決に寄与することを目的として始められました。
北方四島は日本固有の領土であり、終戦後のロシア軍の占領により今日まで不法占拠されている。北千島及び南樺太についてはサンフランシスコ講和条約により日本が放棄したものの、旧ソ連が参加しなかったため帰属が決まっていない。国境線も確定していない。
北方四島の面積は千葉県または大分県の面積に匹敵する。人口は16,613人で戦前の日本人居住者17,291人とほぼ同数である。都市基盤はほとんどなく手付かずの自然のままである。三大漁場の一つで水産加工業が唯一の産業である。石油・ガスの高騰により経済が好転したロシアがここにきて800億円を投入して空港、道路、地熱発電所、学校、病院、岸壁を建設しており、人口に比して不釣合いな額でありロシアの意図が不明であり、返還の意図が無いものと思われる。
日本の憲法は国際紛争解決の手段として、武力行使を禁じており普通の国に比して倍くらいの外交力が無ければ北方四島を取り戻すことは難しい。
江戸中期の高砂のレオナルド・ダ・ビンチ、工楽松右衛門(くらくまつえもん)は帆布や作業船を発明し、択捉島への航路を開設し、有萌(ありもえ)湾に港を築き1791年に完成した。その子孫の元ドイツ松下社長
工楽誠之助氏が今回交流メンバーとして参加した。1792年には大日本恵登呂府の標を択捉島北端に建て、南下するロシアに対し領有を示したのであり爾来北方四島がロシア領となったことは無い。
戦前、四島には3千程日本人の住宅があったが旧ソ連の占拠後墓地と共に取り壊された。例外は斜那の郵便局と択捉水産会事務所の2棟のみである。郵便局は2年前までロシアが使用していたが屋根がはずされ消滅の危機にある。ロシア側は誰かが屋根材を盗んだとうそぶいているが、日本の歴史的遺産の隠滅を謀ったものと思われてならない。対話集会において、私はロシアのクリール地区議会のサクーノフ議員にそれらの保存に協力するよう要望したが「われわれに権限はなく、サハリン州の問題」と答えた。
今回、全国から45人(スタッフや官僚、北対協職員を除く)が参加したが、多額の税金がかかっており要望があれば出向いて報告したい。
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